モーリー・ロバートソンさんが語る中学受験|勉強会の二刀流の天才
モーリー・ロバートソンさんが語る中学受験についてこの記事をご覧いただきましてありがとうございます。
目指せ中学受験!サイト管理人のコッコママと申します。
この記事では、テレビでもQさまやネプリーグなどのクイズ番組や報道番組などでも大活躍のモーリー・ロバートソンさんがご自身の体験から中学受験について語られていた記事を見ましたのでその内容と感想から
- モーリー・ロバートソンさんが語る中学受験|日本の小学校とインターの違い
- モーリー・ロバートソンさんが語る中学受験|日本は「我慢の美学」アメリカは「社交性」
- モーリー・ロバートソンさんが語る中学受験|高校で日本に戻りモテまくりのモーリーさん
以上の項目に沿ってご紹介させて頂きます。
モーリー・ロバートソンさんが語る中学受験|日本の小学校とインターの違い
日本の小学校とインターの学習内容の違い
父はスコットランド系アメリカ人、母は日本人のモーリーロバートソンさんは現在、日本のテレビ番組で大活躍中です。日本とアメリカの最高峰の東京大学とハーバード大学を共に卒業されている素晴らしい学歴から特にクイズ番組では無類の強さを発揮されております
そんなモーリーさんはニューヨーク生まれで、5歳のときに日本に来て、広島市で暮らすようになったそうです。
小学生になると午前中は地元の公立小学校に通い、お昼からは近くにあったインターナショナルスクールに行く、という小学生時代から既に二刀流で勉強をされていたそうです。
ただやはり小学校で日米の両方の学校で学ぶと言う事は無理があって、公立小学校は1年生の1学期も終わらないうちに引き上げてしまったそうです。
このあたりは親の判断だったそうですが、自分自身の意思でどうこうできる年齢でもない時期でしたので仕方ないのかもせれません。このころは日本に来て1年半くらい経っていたので、多少おぼつかないながらも日本語で会話は出来ていたようです。
インターには4年生の終わりまで通いましたが、夏休みの期間が日本とずれているので、3、4年生のころは年に2カ月くらい再び公立小学校にも通っていたそうです。ところが勉強の仕方が違うので、モーリーさんでも当時は年々ついていけなったようです。
5年生からインターをやめて完全に公立小学校に移ったとき、一番苦労したの科目は算数だったそうです。理由はインターでは九九を教わっていなかったからだそうです。
家で母親に教えてもらったり、小学五年生みたいな学年誌に載っている、漫画で勉強の解説をしたものを繰り返し読んだりしているうちに、何となく分かってきたとの事。
モーリーさん曰く
アメリカ式の教育って、子どもに非常にゆったりやらせるんですよ。でも日本は5、6年生になると、職人みたいにがっちり応用問題を解かせたり、中学受験があったり、競争が激し過ぎました。
との事で、やはり小学生時代から日本とアメリカの教育はかなり違うようですね。
モーリー・ロバートソンさんが語る中学受験|日本は「我慢の美学」アメリカは「社交性」
インターでの日本語禁止経験
モーリーさんは環境の違いにも戸惑いを感じたそうです。
インターは全校で30人足らずで、学年に関係なくみんな顔見知りでファミリーみたいな感じ。
それに反して編入した日本の小学校は、全校で1000人くらいいるマンモス校。
最初は友達をどうつくったらいいかも分からなかったそうです。
勉強は難しいし、高学年になるとみんな放課後は塾に行ってしまいます。遊んでもらいたくてモーリーさんも塾についていきましたが、授業に集中できなくてやめさせられたそうです。
そんな時でもモーリーさんはインターに戻りたいとは思わなかったとの事。そもそも5年生で日本の小学校に移ることになったきっかけが、インターでいきなり日本語が禁止になったことだったのが理由だからです。
ハーフの子たちが日本語ばかりしゃべるというのが理由でインターでは日本語が禁止となったそうです。
モーリーさんは、
日本語のステータスが格下げになったことに屈辱を感じましたし、「こんな言葉は要らない」と先生に決め付けられたようで、自分を否定された気になった。すごく嫌悪感と反発を覚えました。
僕はどちらかだけになるのは嫌だったから、いかにアイデンティティーを保っておくかが自分の中で大きな課題になっていきました。日本かアメリカか、一方に収束するのはもったいない。ずっと両立させようと努力してきました。
ちなみに弟は僕と逆のパターン。アメリカの学校から急に日本の学校に行ったりしたことで混乱して、日本語はあまり好きではなくなりました。今もずっとアメリカで暮らしていて、たぶん日本語も忘れていますね。
と、理不尽な言葉の理由からインターには通わなくなったそうですが、後に東京大学にハーバード大学を共に合格するモーリーさんも小学生時代は、普通の子では絶対にしないような苦労をされてきていたのですね。
日本は「我慢の美学」アメリカは「社交性」
1970年代の広島市でも、けっこう中学受験熱はあったそうです。
モーリーさんも最初に塾に入ったときは門前払いだったそうですが、もう少し本気でやるので入れてくださいと頼み込んで入りなおしたそうです。
それで9カ月ぐらい頑張って、中高一貫の修道学園に合格して進学されたとの事。
ここがまた江戸時代からあるような学校だったそうで、
修道スピリット
みたいなのがあって、バンカラで、みんなで猛勉強させて、すごいスパルタの学校だったそうです。モーリーさんも中学2年の1学期までは頑張ってやっていたらしいのですが、丁度そのころにご家庭の都合でアメリカに戻ることになったのです。
そこでアメリカに戻るとまた教育の仕方が全然違うので修道学園で学んだ勉強法が全然役に立たなかったとの事。
日米のシステムを行ったり来たりして、一番きつかったのは数学の幾何だそうです。
「直角二等辺三角形」とか「平行四辺形」とか、日本の数学は漢字が多過ぎるとモーリーさんは仰います。
それも明治維新の時代に外国語を無理やり翻訳したような、不自然な日本語化が問題だとの事。
それに反して英語だと単純で簡単と両方の教育を幼少期から学んでいるモーリーさんは仰います。
例えば「直角」は「right angle」。
rightは「右」のほかに「正しい」っていう意味もあって、つまり「ちゃんと立っている角度」っていうこと。
すごく簡単に、自然な言葉で説明するのでとっつきやすいのは英語の方だとモーリーさんは語られます。
学習のペースの違いも日米では差があるようです。
日本の場合は
「結果を出せ!」
っていうのがすごくて、営業マンに
「数字を取れ!」
って言っているような感じを受けたとの事。しかしアメリカはそんな事もなく、なだらかだったとモーリーさんは仰っておられました。
日本では脇目も振らずに点数を上げ、受験が近づいてきたら部活も諦める。犠牲の上に立派さがある、みたいな我慢の美学が求められます。
アメリカは逆で、最重要なのはコミュニケーション能力です。そしてその延長で恋愛能力。モテないやつはダメなのがアメリカ。
学校での序列は上から
「運動のスター」
「モテる人」
「勉強ができる人」
アメリカは格差社会なので、勝者には全部が集中します。勉強ができてバスケットボールのスターで女性にモテまくり。おまけに家は金持ちで乗馬をやっていたりするのです。
モーリー・ロバートソンさんが語る中学受験|高校で日本に戻りモテまくりのモーリーさん
高校で日本に戻ったらモテまくりのモーリーさん
バンカラな日本の男子校からアメリカにやってきたモーリーさんは、何を言うと女性が喜ぶかなんて分かるはずがありませんでした。
日本のごく普通の男の子のように、ギャグのつもりで下ネタを言って受けようとしたら、一斉にひかれたりもしたようです。
どうやったらモテるか母親に相談すると、でたらめなアドバイスをされた経験もあるとの事。
「絶対に割り勘にしろ」とか。
それを真に受けて、デートした女の子がおごってほしくてお金がないフリをしているのに、「じゃあ、今日は僕が払っておくから明日までに返して」とか言ってしまい、絶交されるという経験もあったそうです。
モーリーさんの1学年上に、勉強はそれほどできないけれどモテまくっているアニキみたいな人がいて、その人からも色々指南を受けたそうです。
その人は、そこまで女の子の扱いにたけているわけではないのですが、モーリーさんが憧れのまなざしで見ていたので、優越感に浸って散々あることないこと吹き込んできたとの事。
勉強はできるけれど社交性では奥手といういびつなモーリーさんは、そんなふうに2年ほどをアメリカで過ごし、また日本に戻ることになったそうです。
そして日本に戻ってきたモーリーさんは・・・
なんと、オールマイティーになっていたのでした。
勉強もそこそこ分かるし、広島に戻ったら急にモテまくったそうです。アメリカではいくら頑張っても「見え透いたことをするな」って相手にされなかったのに、こっちではプレゼントを持っていくと素直に大喜びされたとの事。
当時は70年代後半、周囲に女の子と付き合っている人はほとんどいなかったのが原因とモーリーさんは仰いました。
文化が全然違っていたのですね。
結果、勉強だけ出来てもコミュニュケーション能力が低いと、社会に出てから通用しないいびつな人間になる。
コミュニュケーション能力が長けていても、根本的な能力の面が低ければそれもそれで困った人です。
やはり勉強ばかりではなく、人付き合いの上手さも身に着けて初めて社会に出て役に立てる人間になれるという事なのでしょうね。
この記事でのご紹介は以上になります。
最後まで記事をご覧いただきましてありがとうございました。