中学受験国語言葉の難しさ|母も勉強すべきことが多くある事に気づかされます
中学受験国語言葉の難しさについてこの記事をご覧いただきありがとうございます。
目指せ中学受験!サイト管理人のコッコママと申します。
子どもと一緒に中学受験勉強をしていると、母自身が勉強をし直必要がある事を多く気づかされます。
特に国語が大の苦手な母は、コッコちゃんに教える以前の問題で学生の頃に、もう少し国語を毛嫌いせずにしっかりと勉強をしておけば良かったと後悔をすることも多々あります。
そんな国語の勉強に頭を悩ませていた時に、このサイトでもご紹介させて頂いたロザンの宇治原さんの事を相方の菅さんが書かれた京大芸人の中で、宇治原さんが
「国語なんて新聞を読んでおいたらええねん」
と仰っていたと書かれていた事を思い出し、母もとりあえず読売新聞の過去の物で中学受験に関連のある事が書かれてある欄を探し記事を読んでみることにしました。
そこで国語においての言葉の使い方の難しさについて書かれていた記事がいくつかありましたのでこの記事では国語の言葉の難しさについて
- 中学受験国語言葉の難しさ|例えとたとえ
- 中学受験国語言葉の難しさ|多分と他聞
- 中学受験国語言葉の難しさ|望むと臨む
以上の項目に沿ってご紹介させ頂きます。
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中学受験国語言葉の難しさ|例えとたとえ
例えとたとえ
日本語には発音が同じでも、使い方によっては全く意味の異なる言葉や、同じ音でも当てる漢字が違ったり、前後の言葉によって使い方や書く漢字が違う言葉が沢山ありますよね。
本当にややこしい・・・
ここではそんなややこしい言葉の中で、新聞の記事を読んでいて母が印象に残った言葉をいくつが例に挙げてみようと思います。
まずは【例え】と【たとえ】漢字で書く場合とひらがなで書く場合があります。
相手になじみのない話題を持ち出すときは、「例えば」と言って、何か具体的てきな例を挙あげて説明せつめいすると分かりやすいですね。
「勉強のできる芸能人、例えば宇治原さんのように」
というように使ったりします。
「例えば」は、
「例えば、宇宙ロケットに乗れるとしたら、どこに行きたい?」
と、
「もしも」の意味でも使います。
そう聞かれて、
「たとえ、火星に行けるとしても、私は家にいるのがいちばんいいな」
と答える人もいるかもしれませんね。
この場合の「たとえ」は、「そうだとしても」の意味で、
「ても(でも)」
「とも(ども)」
といっしょに用います。
「たとえ、誰も行かなくとも、私は行く」
「たとえ、今回は不合格でも、また挑戦ちょうせんする」
など、
「そうだとしても、そんなことは関係ない」
と、強い思いを示しめすときによく使われます。
「たとえ火の中水の中」
は、
どんな苦労があってもかまわないという強い意志を表す言い回しです。
もともとの言葉の由来は「たとい」と言いました。
似た使われ方の
「例たとえば」
に引かれ、
「たとえ」
と変化へんかしたようです。
ただ、別べつの言葉なので、「例たとえ~ても」とは書きません。
漢字では「仮令(たとえ)」などと当てますが、通常新聞などでは平仮名で書かれることが多いようです。
中学受験国語言葉の難しさ|多分と他聞
多分と他聞
次にご紹介させていただくのが、【多分】と【他聞】です。
「たぶん来ないんじゃないかな」
「たぶん忙いそがしいんだと思う」
など、確かではないけれど、そうなる可能性が高いときに出てくるのが「たぶん」です。
「おそらく」や「おおかた」よりも親しみやすい感じがします。
今では日常会話でも、子どもでも大人でもよく使われていますし、母も使います。
何かを聞かれたときに、おそらくそうだろうなと思う時は
「多分な」
言ってしまいがちですよね。
漢字では「多分」と書き、もともと
「多くの分量、多くの部分」
を意味する言葉です。
「燃えやすい性質を多分に持つ」
のように、かなりの程度であることを指しても用います。
説明的な文章でよく出てくる使い方です。
「ご多分に漏れず」という言い方もありますね。
「世の中の多くと同じように」の意味で、「ご多分に漏もれず、連休中は遊んでばかりいた」などと、念ねんを押おす気持ちで使われます。
「ご他聞」
「ご多聞」
と書き誤あやまりがちなので注意が必要ですね。
「世の中でよく聞くのと同じように」と考えてしまうからでしょうか?
「他聞」はほかの人に聞かれることで、ないしょ話は
「他聞をはばかる(気にする)話」
です。
「多聞」は多くの物事を知っていること、多くの人に聞かれること。
由来は七福神の一員で、よろいを着けて怖い顔をしている毘沙門天は、多聞天(たもんてん)とも呼よばれます。
仏教の教えを多く聞いた、また、広く名前の聞こえた、といった意味だそうです。
中学受験国語言葉の難しさ|望むと臨む
望むと臨む
最後にご紹介させていただく言葉が、【望む】と【臨む】です。
「雨がふる」
「手をふる」
のように同じ「ふる」でも意味が違う言葉があります。
漢字で
「降る」
「振る」
と書けば、その違ちがいははっきりしますが、「が」「を」にも注目してみてください。
「が降ふる」は「落ちてくる」、「を振ふる」なら「左右に動かす」の意味です。
では、冬場にマラソンやサッカーを頑張りすぎ、足が痛くなって、「つる」ことがあります。
最近では母は、普通に寝ていても足がつったりしますが・・・。
これは、「足がつる」、それとも「足をつる」でしょうか?
正しくは上の母の例文で使ったように「足がつる」ですね。
魚を取る「釣る」や、物を引っかけて下げる「吊る」なら
「大物を釣つる」
「ハンモックを吊つる」
と、「をつる」となります。
「足をつる」では、けがをして、ギプスを付つけた足を吊つっている姿すがたを思い浮うかべてしまいます。
このように日本語は後ろに来る仮名1つで、使う感じも意味も大きく変わってくる非常に難しい言語だと思わされてしまいます。
これが国語なのですから、受験生も本当に大変だなとしみじみ思いますね。
それでは【望む】と【臨む】についてですが、これは「に」「を」で違ちがってくる場合にあたります。
「海にのぞむ」は、海に面しているという意味で、「臨む」と書きます。
「海をのぞむ」だと、遠くの方から眺ながめることで、漢字では「望む」です。
すぐそこが海岸で潮の香かおりが漂ただよってくるなら
「海に臨むホテル」、
山の上にあってベランダに出ると遠くの方に水平線が見えるのは
「海を望のぞむホテル」です。
どちらもすてきですが、ロケーションが違ちがいます。
このように国語は非常に難しい科目であると再認識した母ですが、新聞を読むことは、新聞に書かれている情報を得ることもそうですが、漢字の使い方、言葉の使い方の勉強になるということも再認識致しました。
今後は我が家の2人の娘にも興味のある記事からだけでも、新聞を読むように勧めて行こうかと思っています。
この記事でご紹介させていただく内容は以上になります。
最後まで記事をご覧いただきましてありがとうございました。
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