モーリー・ロバートソンさんが語る中学受験|日本は「我慢の美学」アメリカは「社交性」
インターでの日本語禁止経験
モーリーさんは環境の違いにも戸惑いを感じたそうです。
インターは全校で30人足らずで、学年に関係なくみんな顔見知りでファミリーみたいな感じ。
それに反して編入した日本の小学校は、全校で1000人くらいいるマンモス校。
最初は友達をどうつくったらいいかも分からなかったそうです。
勉強は難しいし、高学年になるとみんな放課後は塾に行ってしまいます。遊んでもらいたくてモーリーさんも塾についていきましたが、授業に集中できなくてやめさせられたそうです。
そんな時でもモーリーさんはインターに戻りたいとは思わなかったとの事。そもそも5年生で日本の小学校に移ることになったきっかけが、インターでいきなり日本語が禁止になったことだったのが理由だからです。
ハーフの子たちが日本語ばかりしゃべるというのが理由でインターでは日本語が禁止となったそうです。
モーリーさんは、
日本語のステータスが格下げになったことに屈辱を感じましたし、「こんな言葉は要らない」と先生に決め付けられたようで、自分を否定された気になった。すごく嫌悪感と反発を覚えました。
僕はどちらかだけになるのは嫌だったから、いかにアイデンティティーを保っておくかが自分の中で大きな課題になっていきました。日本かアメリカか、一方に収束するのはもったいない。ずっと両立させようと努力してきました。
ちなみに弟は僕と逆のパターン。アメリカの学校から急に日本の学校に行ったりしたことで混乱して、日本語はあまり好きではなくなりました。今もずっとアメリカで暮らしていて、たぶん日本語も忘れていますね。
と、理不尽な言葉の理由からインターには通わなくなったそうですが、後に東京大学にハーバード大学を共に合格するモーリーさんも小学生時代は、普通の子では絶対にしないような苦労をされてきていたのですね。
日本は「我慢の美学」アメリカは「社交性」
1970年代の広島市でも、けっこう中学受験熱はあったそうです。
モーリーさんも最初に塾に入ったときは門前払いだったそうですが、もう少し本気でやるので入れてくださいと頼み込んで入りなおしたそうです。
それで9カ月ぐらい頑張って、中高一貫の修道学園に合格して進学されたとの事。
ここがまた江戸時代からあるような学校だったそうで、
修道スピリット
みたいなのがあって、バンカラで、みんなで猛勉強させて、すごいスパルタの学校だったそうです。モーリーさんも中学2年の1学期までは頑張ってやっていたらしいのですが、丁度そのころにご家庭の都合でアメリカに戻ることになったのです。
そこでアメリカに戻るとまた教育の仕方が全然違うので修道学園で学んだ勉強法が全然役に立たなかったとの事。
日米のシステムを行ったり来たりして、一番きつかったのは数学の幾何だそうです。
「直角二等辺三角形」とか「平行四辺形」とか、日本の数学は漢字が多過ぎるとモーリーさんは仰います。
それも明治維新の時代に外国語を無理やり翻訳したような、不自然な日本語化が問題だとの事。
それに反して英語だと単純で簡単と両方の教育を幼少期から学んでいるモーリーさんは仰います。
例えば「直角」は「right angle」。
rightは「右」のほかに「正しい」っていう意味もあって、つまり「ちゃんと立っている角度」っていうこと。
すごく簡単に、自然な言葉で説明するのでとっつきやすいのは英語の方だとモーリーさんは語られます。
学習のペースの違いも日米では差があるようです。
日本の場合は
「結果を出せ!」
っていうのがすごくて、営業マンに
「数字を取れ!」
って言っているような感じを受けたとの事。しかしアメリカはそんな事もなく、なだらかだったとモーリーさんは仰っておられました。
日本では脇目も振らずに点数を上げ、受験が近づいてきたら部活も諦める。犠牲の上に立派さがある、みたいな我慢の美学が求められます。
アメリカは逆で、最重要なのはコミュニケーション能力です。そしてその延長で恋愛能力。モテないやつはダメなのがアメリカ。
学校での序列は上から
「運動のスター」
「モテる人」
「勉強ができる人」
アメリカは格差社会なので、勝者には全部が集中します。勉強ができてバスケットボールのスターで女性にモテまくり。おまけに家は金持ちで乗馬をやっていたりするのです。