センター試験で900点満点が出たそうです!|2月7日の東京大学発表で

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センター試験で900点満点が出たそうです!|凄すぎますね・・・

センター試験で900点満点

センター試験で900点満点が出たそうです!についてこの記事をご覧いただきありがとうございます。

目指せ中学受験!サイト管理人のコッコママと申します。

この記事では、2月7日の東大の発表でセンター試験で900点満点を取っている受験生がいたことから

  • センター試験で900点満点が出たそうです!|2名いるそうです
  • センター試験で900点満点が出たそうです!|佐藤亮子さんのコメント
  • センター試験で900点満点が出たそうです!|全国屈指の公立校

以上の項目に沿ってご紹介させて頂いております。

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センター試験で900点満点が出たそうです!|2名いるそうです

センター試験で900点満点

2月7日に東京大学が発表した

「第1段階選抜合格者の最高点・最低点及び平均点」

のなかで、理科一類の志願者の最高点が900点と発表され大手予備校など一部では大きな話題を呼んだそうですね。

センター試験の点数は、大学入試がすべて終わる4月半ばまで本人に開示はされません。このため、受験生は自己採点にしたがって志望校に出願せざるをえず、その際、大手予備校の集計に頼るのが一般的です。

自己採点結果と志望校を予備校に提出し、合格可能性を判定してもらい、それを見て最終的な志望校を決めるのですね。

東大の発表で満点をとった受験生の存在が明らかになりましたが、実は、その前哨戦があったそうです。1月17日、駿台予備学校がセンター試験の自己採点の集計を発表すると、東大理一志望者に2人、900点満点で申告している受験生がいたのです。

それと同時に、都内のある進学校でも、

「うちの生徒でセンター満点をとったヤツがいる」

という噂が広がり、先生たちも授業中にざわざわとしていたそうです。

「今年はセンター試験で、学校始まって以来の全科目満点をとった生徒がいる」

と話すに至ったのですが、いったい、どのような生徒さんなのでしょう?

センター試験で900点満点が出たそうです!|佐藤亮子さんのコメント

センター試験で900点満点


「先生がセンター満点の子がいたと話すと、教室中がどよめきました。運動部で足も速い○○君(センター試験満点の子)だというのは、すぐ広まりました。あの人は高1のときから勉強がものすごくよくできて、ヤバいねというのは、下の学年でも有名です。科学五輪とかにも挑戦していたはずだと思う」

 そう語るのは、都立日比谷高校の生徒の子でした。

別の生徒の子も、

「模擬試験で全国レベルの成績をとるくらい頭がいいけど、運動もできて、やさしくて下級生からも慕われる優等生です」

運動もできて、性格も良いなんてパーフェクト少年じゃないですか・・・。

本当にスゴイです。

○○君の幼なじみによれば、

「ガリ勉タイプではなかった。おかあさんは、どちらかというと放任主義で、彼は自主的に勉強するタイプ。お父さんが海外勤務もある会社員で、小学校時代は海外生活も経験していた。中学時代から飛び抜けてできたけど、それをひけらかすこともない、いいヤツでした。弟は別の都立名門校に通っているんですけど、やっぱり文武両道でめちゃくちゃ優秀です」

 息子3人と娘1人を東大理科三類に合格させた【受験に合格する方法100】などの著者の佐藤亮子さんのコメントでは、

「家族が放任だったとすれば、やはり精神年齢が高く、精神力が強かったのでしょう。そうでなければ、高校生が自分で日々の生活や勉強計画をマネジメントするのは、難しいですから」

との事です。

やはり、同じ年齢の子が受けて競う受験でも、その子の持つ精神年齢と言うものはかなりのウエイトを占めると言う事なのですね。

センター試験で900点満点が出たそうです!|全国屈指の公立校

センター試験で900点満点


○○君が通う、日比谷高校は昨年45人、一昨年は53人の東大合格者を出した、全国の公立校のなか屈指の進学校です。

その歴史は戦前の東京府第一中学、いわゆる府立一中に遡りますが、当時の卒業生は、たとえば文壇なら夏目漱石、尾崎紅葉、幸田露伴など、文豪の方々を輩出しております。戦後も、1964年の193人を筆頭に毎年200人近くが東大に合格する、全国随一の名門進学校だったのです。

「ところが、一部の進学校に優秀な生徒が集まる不平等を問題にした東京都は、67年に学校群制を導入します。受験生は複数の学校を組み合わせた学校群を受験し、合格者を成績によって群内の学校に均等配分する制度で、特定の学校を受験できなくなりました。結果、日比谷の進学実績は急落し、東大合格者も90年から04年まで一桁が続きました」

と、教育ジャーナリストの方のお言葉もあるように、このような事があったのですね。

一部の学校に優秀な生徒が集まるのが不平等なんて・・・それが、どう問題として提議されたのでしょう?些か疑問が残りますが、改革は、当時の石原慎太郎都知事の鶴の一声で始まったそうですね。

受験にも詳しく医師でもある、和田秀樹さんのお言葉では、

「僕が受験生だった80年代前半は、日比谷高校から現役で東大に入る生徒はゼロでした。学校群制の導入で優秀な子が都立を避け、東大合格校は私立ばかりになって、お金持ちしか通えなくなったのです。そんな状況に異を唱えたのが、神奈川の名門公立、湘南高校出身の石原さんでした」

すでに1994年、都立高校は単独選抜制に戻ってはましたが、石原さんの肝煎りで2001年に、日比谷などが進学指導重点校に指定され、各校独自の入試問題も導入されます。

2003年に学区制が廃止されてから、進学実績は再び上向いていったぉうです。

そして

「08年のリーマンショックの影響で、私立の中高一貫校の受験者が2割ほど減った。一方、新たにできて学費が安い都立中高一貫校を受ける流れ、そして最初から高校受験を狙い、トップ校の日比谷を受ける、という流れもできました」

と、

森上教育研究所の森上展安代表のお言葉です。

ところで、かつての日比谷は生徒の自主性を重んじる校風だったそうですが、いまは違うようです。2012年に赴任した武内彰校長の下、面倒見のいい学校に脱皮しており、教育ジャーナリストの方のコメントでは

「各生徒の模試の結果などをデータベース化し、各教員が共有して弱点を指導したり、年3回、半月ほどの間、全生徒に何時に起きて何をし、どれだけ部活をし勉強したかという詳細な日誌を書かせ、それをもとに指導している。朝や放課後の補習もふんだんにあって至れり尽くせりです。“難関4国立大学及び国立大学医学部医学科の現役合格者60人以上”といった具体的な数値目標も細かく掲げ、みなクリアしています」

とのお言葉。

その一方で、部活や行事にも手を抜かない、という忙しい高校生活が強いられる学校だそうですね。文武両道も納得です。

ところで、東大の最難関は医学部進学コースである理三なのですが、○○君(センター試験900点の子)が選んだ理一は、工学部や理学部への進学者が多いのです。

もう1人の満点と申告したのがだれかはまだ謎のままですが、2人とも今後、ご自身が1番力を発揮できる職業を目指して将来の日本を支えていって頂きたいものですね。

この記事でのご紹介は以上になります。

最後まで記事をご覧いただきましてありがとうございました。

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